ゴールドの車体に金メッキの霊柩車の架装部分なのに厳かな佇まいを感じるのは特殊な車両故の空気だろうか?

今は亡き宮型霊柩車の名門・米津工房が監修したという事もあり
架装部分の作りはかなり凝っており当時としてはかなり精密かつリアルな部類に入ると思う。
当たり外れの多いダイヤペットミニカーではあるが紛れもなくダイヤペットシリーズで一番精密と言っても良いと思う。
この金型を彫った方は相当な技術の持ち主なのではと思ってしまった・・・・
実は実車のディメンションと比べるとややバランスが悪いところもあるのだが
今の目で見るとやや大味なダイヤペットとのバランスが破綻していないあたりは流石という感じである。

ダイヤペットクラブ会員向けへの販売という事であったが1980年当時の販売価格は6500円だったそうで
それだけでも特殊なミニカーという事を感じさせる・・・・今だったら2万5千円位の感覚だろうか?
箱も赤の起毛仕上げで金の箔押しの文字で製品名が印刷されており高級感がある。
さらに多くの方もご存知だと思うが霊柩車のミニカーという特殊性故に
販売に際して浅草寺の御札をセットするという念の入れようであったがそのあたりもスペシャルな内容である。

ここでそのミニカーの謎の話を一つしたいと思う。
あくまでキモヲタの推測なので間違いや事実と違うかも知れないという事で見て頂けると幸いだが
私も長らく限定で発売されたという認識であったのだが、今から20年くらい前にとある総合ホビーショップで
御札なしのデッドストック品が比較的安価で売られていたのである。
聞くところによるとまとまった個数が出てきて特定の販路に乗ったということであった。
私もまさかの邂逅に驚いたのだがこのミニカーの要点の一つであった「御札なし」というところが少し気になり
当時は京商やエブロの出来の良いミニカーが安価に買える頃でもあったのでスルーしてしまったのだが
割と早い段階で店頭から消えてしまい手を出さなかったことをずっと後悔していたのである。
一番の謎がなぜ限定販売と言われていた物のデッドストックが出てきたのか?という事である。
丁度セガ・ヨネザワからアガツマにダイヤペットブランドの権利譲渡があった時期なので
そのあたりになにかヒントがあるような気がするのだが定かではない。
そしてネットで見かける御札なしの個体はこの時のデッドストックの物と思われるものが多いように感じる。

御札なしとはいえ玉数が多いのは発売当時にミニカーそのものは一定数を生産したと思われる。
架装部分の金型の投資やリンカーン・コンチネンタルのボディの金型改修の都合上
ある程度の数を生産しなくてはいけなかったのではないだろうか?
なんとなくではあるが6500円でも利益は無かったのではないかと思う。
架装部分の金型の制作費等はとんでもない値段になったのではないかとも思われる。
当時どのくらいの数が出たのは謎ではあるが、御札はすべての生産分にセットされ
余った在庫は御札を抜き取って後日お焚き上げをした可能性も否定できないが
私が購入した個体はそもそも御札が入るスペースにそもそも折返した形跡がないようにも見える。
という事はやはりそもそも御札はセットされていない可能性もあり、注文分のみ御札をセットして会員に注文分のみ販売。
そして、余ったミニカーが何らかの形でデッドストックとなり2000年代前半に放出されたのでは?と推測した。
詳細は不明だが今回ミニカーそのものを入手してみてそんな事を思った次第である。

また、今も買えるか不明であるがとある霊柩車メーカーさんのHPの通販コーナーでも掲載されていたり
この手のミニカーとしては出物もたまにあり欲しい人は限られるのか入手も比較的楽な部類に入ると思う。
恐ろしいほど高額な出物もあるが比較的安価な個体も出てくるので待っていれば出物はありそうである。

ちなみに今回入手したものは箱破損・御札取説なし・塗装ブリスターあり・埃っぽい・シャーシ反りありの物であったが
個人的にはミントコンディションだと気が引けてしまうので遊ぶには丁度良いコンディションである。
ちなみにヘッドライトの開閉ギミックが固着していたので開封後数分でバラしてしまったのは内緒である。
ヘッドライトは開閉レバーの固着であったので分解し馴染ませて復活させたが
「子供の頃ダイヤペットをたまに買ってもらうと嬉しすぎて速攻でバラして怒られる麗心愚」としては慣れたものではあるが
割とレバーとライトのガタと開閉機構の構造との折衝が大変で治らないかもと冷や汗が出まくったが
バンパーの焼き止めも甘くすぐ外れたのでGクリアで補強といった感じで修正。
ダイヤペット特有のドア落ちも小技で少し修正させてみたが元々の隙間も大きいのでこれはご愛嬌だろう。
こういった弄り壊すか治すかのギリギリのラインの手直しもミントコンディションでは味わえないであろう。

そして現在は少数派になってしまった宮型霊柩車であるが、私は子供の頃から宮型霊柩車が好きで興味の対象であった。
原体験は親族の葬式の時に見た丸目四灯の250プレジデントの宮型霊柩車である。
その葬列と言う物がまだどういう物か理解できなかったが、特別な車というインパクトは鮮烈であったせいか
人の死という事を認識した最初の頃の記憶としてあのプレジデントの宮型霊柩車は鮮明である。
(余談だがその時霊柩車がぶっちぎりで走っていってしまって残された身内含め親戚一同びっくりしたのも時代だろう。)
私が子供の頃は宮型霊柩車のほうが圧倒的に多かった。というか所謂洋型はあまり見る機会がなく
今時のようなリアが延長されたハース型と呼ばれるような様式の車体は少なく
洋型と言われると寝台車にカテゴライズされるような個体が多かったように記憶している。
宮型の数が減り初めたのは20年以上前くらいだろうか?
その頃に祖父母が相次いで亡くなった時、葬儀会社の人から「宮型と洋型どちらが良いでしょうか?」という話が出て
「実は最近宮型はちょっと・・・・というご遺族様も増えておりまして・・・・」という話があり
その場にいた親族一同で「時代だねぇ~」と話したことを覚えている。
ハース型のキャデラックの写真がパンフレットに記載されていたの記憶がある。
ちなみに祖父母の最後のドライブは地元葬儀社の前によく停まっていた宮型のキャデラックフリートウッドであった。
私が住んでるエリアでは割と宮型はアメ車勢が強かった記憶がある。
少し前の世代のキャデラックフリートウッドやリンカーンタウンカーをよく見かけて
国産車勢だとセンチュリーや130クラウン・Y30セドグロあたりが多かった記憶がある。
祖父母の葬儀の後くらいからしばらく不幸がなかったのでその後の親族の葬儀から霊柩車は洋型が多くなった気がする。

話せば長くなるのだが宮型霊柩車への風当たりが強い事に私個人は違和感を持っている。
見た目、景観の問題、車体の値段、維持の大変さ、車両の保安基準等々・・・・・
様々な事情があることは理解しているつもりではあるが、私は人生最後のドライブは宮型で送ってもらいたいと思っている。
見るのも嫌だという人の想いも解るが、宮型霊柩車で送ってもらいたい人間もいるという事を頭に入れておいて欲しいのだ。
個人主義が強くなり個人の意見が尊重される時代だが、同調圧力や共感を求む空気もいずれにいて強い。
もちろん私自身も嫌だという人がいらっしゃるということは忘れないようにしなくてはいけないと思うが
最後に伝統のある車両で送ってもらいたいと思う自由も選択肢もあっても良いのではないかと感じた。
そして、当時宮型霊柩車をミニカー化し歴史に残る一品を遺してくれたヨネザワにも畏敬の念を感じている。
ダイヤペットは私にとって特別なブランドであり、いつまでも心が昂ぶる響きである。

誰もが最後に乗る車なのだから国産ブランドの霊柩車のミニチュアがもう少し出てもいいのではないかと思った次第である。